滞在はグルジーとご一緒?!
コラム17
先生の家に着くと、たくさんの人がいた。グルジーに会いにやって来たダンサー達だった。先生の姿は見えず、会えたのは、随分たってからだったので感動の再会シーンは無かった。
それにしてもグルジーと遭遇できた事は大変素晴らしい事だったが、私の2週間のレッスン計画が大幅に変更する事は、確実だった。
まず、彼が滞在している部屋は、レッスン場にしている居間だったので、当分、レッスンは無理だと予測された。
でも、それよりも先生の全神経はグルジーに注がれていて、それどころではないといった空気だった。とにかく彼は特別な方なのだ。
その状態がいつまで続くのかわからず、少しあせりを感じていた時、先生の姪のソナリーという女の子と一緒にグルジーのレッスンを受ける事になった。(彼女は、グルジー滞在中、実に甲斐甲斐しくお世話をしていた。)
グルジーのレッスンを受けるのは10年ぶりだったが、彼の作る表情は言葉では説明できない様な、不思議な美しさがあり感動した。
たった1度だけだったが、とても貴重な時間だった。
それから、クムクム先生に見てもらう事はなかなかできなかったけど、いい事もあった。
ソナリーが、私の習いたかった曲を3曲も知っていて、親切に教えてくれたのだ。
彼女のレパートリーは5曲だけだったので、すごく幸運だった。
しかし、グルジーがお帰りになった後半、”さあ、これからしっかり習おう!”と思った時に長男がひどい下痢になって寝込んでしまい、その心配で今度は私が体調を崩し、その後を追ってお腹が・・・。なのでレッスンを受ける事ができたのは、結局5日間だけだった。
それでも、3曲をなんとか、把握できたのは、日本でのビデオ学習のおかげだ。
昔の自分のビデオに助けられた。
踊りの方は一応、どうにか進んでいたが、突如、難題がもちあがった。
滞在4日目になると子供達が、スパイスのきいた料理に飽きてしまったのか、いきなり”僕たちはインド料理はもう食べない!”と宣言して、ごはんを全く食べてくれなくなってしまったのだ。
もちろん、ある程度の日本食は持って来ていたが、2人分の3食×11日間には到底足りなかった。先生も心配してくれて、早速、一緒に日本食料品店に行ってくれて、大瓶の醤油などを買って来た。
何でも醤油味にすると、何とか食べてくれるようになりホッとした。
ある時、醤油味のポテト炒めを部屋で食べていると、先生の愛犬のチベッタンドッグのチャヤが、ドアを激しく叩いてないているので、1つあげると、おいしそうに食べていた。
子供達の日常といえば、ほとんど、ゲームボーイ三昧の日々を過ごしていたが、帰国してから、インドの印象を聞いてみた。
驚いた事。
●インドのバス 理由 1、窓にガラスが入ってなかったので、強風にあおられて息苦しかった。(さすが親子!)
2、あまりの混雑に降りられるのか不安だった。 3、車掌さんがいた。
●博物館 1、入るなり、どんより朽ち果てた感じ、人影がまばら。 2、恐ろしく急な、らせん階段に手すりがついていなかった。 3、展示物が床に落ちていた。 4、ティラノサウルスの骨があると聞いて、期待していたが、大腿骨が1本だけ、ごろんと置かれていた。
●車道に牛がごろごろしていたり、空港に向かう途中にラクダとすれちがった。
●”ゲームセンターに連れて行ってもらえる”と期待して行ったら、そこにあったものは、壊れた卓球台と手動のビリヤードゲーム機とテレビだった。”動物のいる遊園地”はリスのいる普通の野原だった。
楽しかった事。
◯オートリキシャーに乗った。
◯インドのお店。
◯南インド料理レストランの子供のために設置されている大きな滑り台で、インド人の子供のリーダーみたいになって遊んだ。(長男のひょうきんな、いろんな滑り方を、初めはみんなびっくりして、立ちつくして見ていたが、そのうち全員が瞬時に同じ滑り方をするようになった。)
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